今日は3月11日。震災その2ヵ月後のある講演会のことのブログを振り返りました。
月日が経つほど当時の対応のまずさが指摘されたのですが、原発事故直後からはまさしく
想定外が続き、官邸・東電のやりとりはマスコミで流されている以上に生々しいもので、
一刻を争う危機一発的場面があったそうです。官邸の決断、指示のタイミングは相当
難しいものであったようです。当時の枝野官房長官はソファーで仮眠を少し取る程度で、
当然心身共に疲れきっていました。
当時与党の民主党・菅内閣時に起った震災、原発事故ですが、専門家でも対応策を明確に
発言できない状況でした。いつものことですが野党は好きなことを言えますが、民主党
には優秀な議員は多くはいないが、たまたま菅内閣の官邸に詰めるべくスタッフに人材が
いたと評価しています。
まずは枝野官房長官(当時47歳)、そして福山官房副長官(50歳)、さらに細野総理
大臣補佐官(40歳)、同じく馬淵総理大臣補佐官(51歳)です。この体力のある若さ
と頭脳無くして、連日ほとんど寝ずの対応はできなかったのではないか?その前の鳩山
政権、現自公の政権だったとしても同様なことが考えられます。
まあ、それはそれとして、この地震、津波、原発事故が報じられた新聞は、物置にしまって
あります。
あらためて亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。そして原発の再稼働問題の
正しい判断、一刻も早い復興への対応を与野党及び電力会社の皆さんにお願い致します。
※講演内容そのものではなく、私見が入っておりますので、誤解のないようにお願い致します。
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