昨日の国際大学の教授のご講演は、東日本
大震災直後の原発事故問題のお話でした。非常に
わかりやすく1時間があっという間に過ぎました。

教授は原発事故の官邸の対応を調査し(この他にも様々な分野で)
報告書をまとめた、民間チームのお一人として活躍されたそうです。

講演内容につきましては、私の解釈の仕方が間違っていると
困りますので詳細は遠慮し、私見を含めたコメントと致します。

いや~、原発事故直後からはまさしく想定外が続き、官邸・東電
のやりとりはマスコミで流されている以上に生々しいもので、
一刻を争う危機一発的場面があったんですね。官邸の決断、指示の
タイミングは相当難しい
ものであったようです。当時の枝野官房長官は
ソファーで仮眠を少し取る程度で、当然心身共に疲れていたそうです。
愛読・毎日新聞

菅内閣時に起った震災、原発事故ですが、専門家でも対応策を
明確に発言できない状況でした。野党は好きなことを言えますが、
菅内閣であったから良かったととらえることもできそうです。
菅総理は東工大の理系出身で原発について国会議員の中では
トップレベルで勉強していました。(事故対応では総理がそこまでやるかと
行き過ぎという位)
民主党には優秀な議員は多くはいないが、たまたま菅内閣の官邸に詰めるべく
スタッフに人材がいた
と評価しています。
まずは枝野官房長官(47歳)、そして福山官房副長官(50歳)、さらに細野
総理大臣補佐官
(40歳)、同じく馬淵総理大臣補佐官(51歳)です。
この体力のある若さと頭脳無くして、連日ほとんど寝ずの対応はできなかった
のではないか?と思いました。
仮に鳩山内閣時であったならば、総理は「よきにはからえ」と動かず、スタッフも
比較的高齢で心身が続かないかもしれませんね。(苦笑)自公の政権だった
としても同様なことが考えられます。

ともかくも未曾有なリスクを現実に経験したこの震災を教訓にしなければなりません。
今朝、捨てることができなかった、二階の物置にある3月12日~17日の新聞を
撮影しよう・・・と、そういう心の動きがありました。