実家の東家は先祖が会津から長岡の一部・三島郡に移り片貝から嫁をもらいなど、実祖父・東竹治は4代目であることが初めて見た過去帳などでわかりました。しかし、屋号「東竹」からしても浦佐に移り住んだ祖父が初代だという感覚です。ボクが5歳の時に他界したので、ほとんど覚えていません。膳や椀の漆職人と同時に仏壇作り、塗り、販売もしていました。ボクが仕事でお宅におじゃますると、「この仏壇はそちらから買ったとか塗りなおしてもらった」という話が結構あり、実直でいかにも職人という真面目な祖父だったようです。
父は女系6人姉弟の末っ子で教師になりたかったのですが、お金もなく許されず、中卒で小千谷市の仏壇屋さんに丁稚奉公をして修業をし後を継ぎました。実家の仏壇はその祖父と父が作ったものです(組立、塗り)特に金箔貼りは無風状態で真夏でも締め切った中での大変な作業だと母から聞きました。決して大きくなくド派手でもありませんが、先代が一生懸命作った仏壇となると強い愛着が湧いてきます。
浦佐で借家住まいからスタートした実家。時代の流れによって父は建築塗装業にシフトし後継者の兄(独身にて)の死を通じて廃業しました。しかし、父は結果として4人の弟子を独立させました。
先祖の位牌、祖父・祖母、兄、そして49日忌には父の位牌が並びます。ボクはこの仏壇に入ることにはなりませんが、母、母子家庭の妹親子3人をサポートして東家を守ります!もちろん9代目として笠原家も。。。10代目の一人娘は。。。いかに(笑)
※みなさまにとってはどうでもいい話ですが、自身を奮い立たせております。すみません。
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