「東北地方太平洋沖地震」。悲惨な状況が増すばかりです。
全国から人的支援(ボランティア)に駆け付けたいとの考えの人たちが大勢おられる
んだろうな~と。。。ですが、とてもとても現段階では2次災害の恐れもありますし、
交通が寸断されていて辿り着くことさえも難しいでしょう。
自分の日誌を紐解いてみました。
平成7年1月17日・「阪神・淡路大震災」。
この時、所属していたJCは三日後の20日に第一陣がボランティアに出発しました。
私は理事長のカバン持ち的役職でありながら、「この時期ではかえって足手まといに
なり充分な貢献ができない」と反対し見合わせました。
3月20日から二泊三日で第二陣としてボランティアに参加しました。全国から寄せられる
救援物資の仕分けや避難所への運搬という、組織がしっかりした中で効率の良い
人的支援ができました。二ヶ月経っても砂埃で、大変な傷痕が深く残っておりました。
平成16年7月・新潟・福島豪雨「7・13水害」。
自宅新堀新田区から声が出て、有志が集まり三条の被災地で参加しました。
8月8日(日)のとても暑い日でした。道路側溝にびっしりと詰まった土砂を掘り出し、
土嚢袋に入れて処理しました。 帰った後の生ビールのウマいのなんの。。
残念ながら仕事に支障をきたしてまでボランティアで貢献はできません。
今感じていることは、現時点では当然、プロの方々が必死に対応しているのでしょうが、
素人であるボランティアの受け入れ要請がいつになるのか。。。
裏を返せばボランティアができるようになるということは、落ち着きを取り戻しつつある
と言えます。。。
上記のボランティアで、ほんのチョット手伝っただけで偉そうなことは言えませんが、今回の津波絡みは甚大過ぎて、何から手を付けて良いのかわからない位でしょう。
しかし、人的、物的両面から復興支援を皆さんが考えなければなりませんね。
災害ボランティアの経験があるのですね。
津波が田畑、住宅、走る車、人をどんどん呑み込んでゆく、取材ヘリからの生中継を見ているうちに気分が悪くなり、強い吐き気を感じ、心拍数が上昇した。
落ち着いてから、何かしてあげたい!何ができるのだろう!
とりあえず、お店のレジに「東日本大震災募金箱」を設置しました。
他に、何か出来ることはないのでしょうか、不動さんの経験を、もう少し具体的に聞かせて下さい。
店長さん、コメントありがとうございます。
大した経験もないので、何か他にできることが浮かびません。
今は家内とテレビを見るのもつらくなり、そこから
逃れようとしているくらいです。
人間の弱さと強さ。。。しっかりと自分と社会を見つめ
なおしてみたいと思います。 よしっ!!